古代史最大の争乱といわれている「壬申の乱」(西暦672年)から、今年で1350年を迎えています。 その「壬申の乱」と四日市市の国指定史跡『久留倍官衙遺跡』は深い関わりがあります。 『久留倍官衙遺跡』は、北勢バイパスの建設に伴う発掘調査の際に、発見された飛鳥時代から平安時代におよぶ朝明郡の役所跡で、平成18年に国史跡に指定されています。 「壬申の乱」は、兄である天智天皇の皇太弟であった、大海人皇子と同太上大臣であった天智の息、大友皇子との間で起こった皇位をめぐる内乱です。 日本書紀によると、天智天皇の譲位の申し出を辞退した大海人皇子は、出家して吉野に逃れ仏道修行を行っていましたが、近江朝廷(大友皇子)側が天智天皇の山陵を造ると称して兵を起しているとの報がもたらされ、大海人皇子は挙兵を覚悟します。 急ぎ、東国に向けて出発し、伊賀・伊勢を抜け、不破に至っています。 戦況は一進一退を繰り返しますが、最後には宇治橋の決戦いで勝利した大海人皇子側が勝利をおさめます。 その間、大海人皇子は三重郡を過ぎ、朝明郡の迹太川のほとりで天照大神に戦勝祈願し、その後朝明郡の郡家続きをみる
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